神社巡り 賀来南大分方面とZwift 827 BREA-k fast Crits and Grits

 歯医者の定期通院を終えてからライド。今日も気温が高くなりそうな予報だったが、朝のうちは曇りで気温上昇が遅れたのでちょうどよかった。12時半頃スタート。

小野鶴八幡社

 小野鶴のバス通りからちょっと行ったところに小野鶴八幡社。小野鶴神社、小野鶴八幡、八幡宮等の社名の揺れが見られるが、拝殿の奉納名板にある小野鶴八幡社をここでは採用。




拝殿前ではなく本殿脇に狛犬が控えている。さらに本殿上にもう一対の狛犬。

 鳥居の両脇に祠。向かって左は小槌を持っているので大黒さんか。

 拝殿左手の祠群。文化、安政などの年号が見られる。
 ところどころで見かける五角柱がある(長濱社杵築社八幡竈門神社、京都伏見の五穀稲荷神社)。ここも定番の天照皇太神、大己貴命、保食命、猿田彦命、少名彦命(ママ)。これだけあるのなら名前がついているだろうと帰宅後検索したら地神塔、特に五角柱のものは五神名地神塔、五角柱地神塔と呼ばれるらしい。

 本殿左手奥の石祠。天狗の絵と阿蘇入神社で見たような翼のある石像。ということは、この石像も、阿蘇入神社の石像も天狗さん?修験道系?

 北からの参道の取り付け口。灯籠には寛政の銘。


 その先。左は享保2丁酉歳/豊後小野津留村/奉納大乗明典66部日本□国/7月吉祥日願主覚入禅士、中央は仁王護国般若妙典とあり、仏教職が強い。

 さらにその先。多くで青面金剛、もしくは青面の文字が読めるので庚申搭。

 さらに先、入り口に近いエリア。

 戻って、鳥居の右手先。右端は当庵開基慈光坊塔と。神仏分離前。左端は奉寄進塔なのでお供えものはいらんと思う。

 県の特別保護樹林。わかる。手前がカヤ、奥がイチョウ。

 境内に下小野鶴公民館、自主防災倉庫。

伽藍大神

 以前散歩中に見かけた、注連縄のある祠を訪問。

 久下(くさか)家伽藍堂との看板が出ている。以前はなかったような。

 堂には伽藍大神と掲げられている。

伽藍(がらん)は、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味であり、後には寺院または寺院の主要建物群を意味するようになった。

 扉は施錠されておらず、参拝できる。観音開きの戸も開く。仏様系ではなさそうだけど、どちらの神様かは不明。右は栄神社の御札。

 右手のツバキの奥の石塔・祠群。

賀来神社

 賀来の市で有名な賀来神社へ。



 天井画がある。拝殿前面の扁額は賀来神社、拝殿内は善神王宮。天井画があり、その中心には方位の円。


 由緒(クリックで拡大)。仕事熱心でろくに家に帰ってこないモーレツサラリーマン型の武内宿彌命。

 善神王については別府大学のサイトにわかりやすい解説があった。

賀来善神王について

 王とつくからには、仏教が取り入れた古代インドの神様由来かなと思ったが、おおきく外してはいないようで。上野の松坂神社も善神王社だったと。松坂神社の現在の祭神の末席に武内宿彌命も名を連ねている。国東半島では「ぜんじょう」と読むところもあるとか。

 卯酉の神事の説明板。

 神馬。奉納者さん、縁起のいいお名前。大分に多いユキ姓。会社は今も健在のようで。
和ギャラリー茶屋 茶屋呉服店 | 大分市に創業121年 着物・帯・和小物

 神楽殿。

 社務所とその奥の倉庫。

 手水舎と古い手水鉢。


 神楽殿の隣に祠。祭神不明。せっかくのコンクリート造りなのに、拝礼ポジションではよく響かない。

 巨木がたくさん。



天満社(中島)

 各神社の近くにある天満社。かつては境内末社だったかもしれない。
 鳥居はギプス固定。

 鈴が鳴らせないポジションに。

 左手に祠。仏さんっぽい。

 鳥居脇にも仏さん。なぜかサルのぬいぐるみが備えられている。

 以前の祠の瓦か。

 手水鉢。

 賀来荘地頭賀来氏館趾の碑。昭和10年に京都市在住の子孫の方が建てたとか。

餅田の鳥居マーク

 ⊥神社から北に向かい、崖の上に「不明の神社」としてプロットしているので、そっちに向かってみる。
 これだろうなと思って向かってみるが、お寺だった。

 少し西の道を上がってみるが、なにもない。ちょうど坂の上のお宅の方がいらっしゃったので聞いてみたが、心当たりがないという。諦めて次へ。

 帰宅後調査。プロットした根拠はおそらく国土地理院地図

 Mapio地図と比較。やっぱりお寺(金剛院)に地理院が鳥居マークをつけとるやんか。大在の地蔵山公園続いて間違いだった。

 九六位山頂近くの鳥居マークも寺(円通寺)の間違いだと思う。

大床神社

 崖の麓、初瀬井路沿いに進むと鮮やかな色の神社が見えてくる。


 鳥居の扁額は「大明神」、拝殿前には「正道」、拝殿奥には「大床神社」。神仏分離以前の色合いを残している。


 本殿奥の横穴は何か信仰に関わるものかは不明。御手洗神社では龍穴だったが。

 由緒。祭神は大山咋神、大己貴神でそれぞれ松尾神社、日吉神社から勧請したと。物集女の土師氏の末裔の田崎氏が祀ったと。土師に「ずし」とルビを振っているけど、普通は「はじ」だと思うんだが。

土師氏 - Wikipedia

 左手の祠。刀を持っているということは不動明王さんかな。

 その脇の仏さん系。

 由緒書きにあった天神さんの名残か。

 右手に経塔。

 手水鉢。

 吽形狛犬は割れているが、意外とキュート。

田営(たつくり)神社

 高速道路の手前を入ってうろうろしていたが、登り口が見当たらない。この崖の上にあるはずと思っていたら、道の脇の土手の上で作業してたおっちゃん(推定同年代)が声をかけてきた。サイクリストで、今日も午前中志高湖まで往復してきたとか(午前中は寒かったのに)。これ幸いと聞いてみる。
「この近所、神社ありますか」
「なんて神社?」
「田宮神社ってゆうんですけど」
「タツクリ神社ならあるけど」
「あっ、これ宮じゃなくって営ですか。どうやったいけますか」
「この下の駐車場のところの三叉路を右に行った先じゃ」
「なんか目印ありますか?」
「壊れかけた鳥居があるけど、その先は通れんようになっちょる。左の急な道を行ったら行けるわ。自転車じゃ無理やな、40%はある、そのへん。ボクが掃除したりしとるんよ」
「ありがとうございます」

 ということで行ってみた。ほどなく到着。これ、知らんかたらこの廃道を突進してたところやったわ。

 左の道、鳥居から見える範囲ではなんとか乗れそうな勾配だったが、曲がった先から急に険しくなった。突然石の壁と石垣が現れたり。

 距離はそんなに長くなく到着。よく草刈りされている。

 本殿。想定以上に新しかった。

 右脇の旧大将軍。裏に由緒。元々石の社があったところに肥後篠原の大将軍を分霊し、明治頭に田営神社と解消したと。
 人皇100代は後小松天皇で、その父が後円融天皇。そもそも「後」だし。肥後領篠原は狭間にある飛び地のもよう。


 右手の祠群。

 そのさらに右に廃参道らしき取り付け道。

 手水鉢。

 改修記念碑等。

 以前の社殿か。

天満神社(竹の上)

 南大分駅の手前を曲がって、坂が急になり始めたあたりに天満神社。これは高松の金毘羅社のような公民館と一体化したパターン?

 と思って少し登ってみたら本殿があった。

 手水鉢。

 大坂相撲では江戸相撲の親方に当たる人を頭取といっていたらしい。となると
大阪相撲の頭取のページにある岩友清太夫さんかな。

 本殿右手の仏さま群。大黒さんの姿も。



永興(りょうご)正八幡社

 城南団地の高さにありそうなので福徳学園高校の前の道を急な道を登っていく。高校の同級生でこの上に住んでいる人が何人かいたけど、電動アシストのない時代にここを毎日登って帰宅するとか拷問やな。
 で、てっぺんまで登って神社の方に行ってみたがつながる道がない。下から階段で上がっていくタイプやったか。
 登った道を降りて左に曲がって到着。みぎの石柱は永興正八幡社、左は城南神宮と彫られている。鳥居には寛永8年の銘。扁額は正八幡社と。

 鳥居のすぐ右に永興公民館。

 第二踊り場右手に仏様。階段の右手にはややゆるいコンクリートのスロープがある。

 到着。拝殿内には酒樽。



 本殿東脇の「永興山八幡大菩薩」の碑。

 由緒。天平20年は西暦748年。祭神は足仲彦命、誉田別命、息長帯姫命、貴舩明神の屋船句々能遅(やふねくくのち)命と屋船豊受比売命、加茂大明神の手置帆負(たおきほおいう)命と彦狭知命。宇佐ではなく薩摩から勧請したと。
 上の碑や由緒の書きっぷりからして、かつては永興寺と一体だったんだろうなと。

 社務所。

 神楽殿。

 左手に天満社。

 拝殿には天井画。

 座牛と手水鉢。

 天満社の社務所、それとも控殿?

 奥の倉庫。

 本殿の真裏に仏様。

 拝殿の左、祠があったと思われる場所。由緒書きからすると金毘羅宮?

 本殿の左奥の弁財天。

 拝殿右手にどんと焼き会場。

 福徳学園高校裏に一の鳥居。

 城南神社というのは永興正八幡社の別名だろうと思いこんでいたが、別の神社だったという記述を発見。

 城南神社は尺間神社及び石鎚神社の大分遥拝所として祀られていましたが、尺間神社は令和三年七月二十五日、石鎚神社は令和三年十一月七日に、それぞれ返納祭を執り行い御神体が本社にお里帰りされ閉所されたとのことです。
 永興正八幡社の境内末社である天満社が台風で旧社殿倒壊したこともあり、その後旧城南神社の社殿をそのまま天満社の社殿として利用しているようです。

 なかなかショッキングな状況。私が毘沙門宮と推測したところは天満社だったのかも。尺間、石鎚とも山岳信仰やなと思っていたら、こんなサイトも。高台だし、神社だしということで遥拝所ができたんかな。

由緒:
 大正12年,この地に大分県弥生町・尺間山に鎮座する尺間神社遥拝所が設けられ、昭和2年には遥拝殿が完成しました。
 さらに昭和34年には同じ場所に愛媛県・石鎚山に鎮座する石鎚神社遥拝所も設けられました。
 昭和37年に両遥拝所を合併して「城南神社」と改称し、昭和46年に社殿が新築されました。
(「境内石碑」より)

 2月4日に再履修。
doroyamada.hatenadiary.jp

石鎚教会本教大分市教会

 永興正八幡社の一の鳥居の写真を撮ろうとゆるい下りを進んでいたらその手間r(一の鳥居と二の鳥居の間)に発見。大分市内に点在する石鎚本教の施設のようだ。城南神社にあった石鎚神社と関係ありそう。


田中天満社

 大道トンネル付近の神社も巡るつもりでいたが、日が傾いて気温も下がり始めたのでそちらは次回に。帰路途中にある天満社へ向かう。トキハインダストリー南大分店のそば。公園が見えた瞬間ここだろうと見当がついて、正解だった。公園の奥に社が見える。公園内には自主防災倉庫、田中町公民館がある。


 拝殿には天井画、拝殿の一部が神輿庫。





 拝殿脇のこちらはどなた?ぴったりとくっついていないので道祖神ではないと思うが。

 地元では田中天満社とよばれているようだ。

 右手の囲いの先に遷宮記念碑。囲いはあるけど、施錠されていない。
 天明年間に際しが行われた記録があり、R210の拡幅で移転してきたと。神社の敷地に公園や公民館をつくったのではなく、移転時に公園や公民館もつくったと。

 本殿裏の石碑、祠。一番左の碑は日露戦役記念。

 ウメはまだつぼみ。

若宮八幡社(大石町)

 もう一社、帰路の神社へ。大石町公民館にかなり我が身を差し出している。公民館正面からだと姿も見えない。



 本殿の右に「日支事変」、左に「戦勝記念」。「日支事変って勝ったん?」と思って調べてみたら満州事変と上海事変の総称だったり日中戦争のことだったりするらしい。ということはこれは前者か。


 鳥居の奥に五角柱地神塔。天照皇太神の面が裏向きだったけど、東向きにしたんやな。

 鳥居右の祠群。

 本殿右手の祠群。

まとめ

 若宮八幡社から大分川左岸のサイクリングロードに入って帰宅。



Zwift

 昼間のライドは距離が短く登りも少なかったので夜Zwift。Tour de Zwift Stage 3 StandardのBREA-k fast Crits and Grits。いきなりSgurrを登って、グラスゴーを一周して、東側をくるくるして、再度Sgurrを登ってゴール。gritとは荒砂、もしくは勇気、闘志という意味らしい。どっちやねん。というかダブルミーニングか。

 最初のKOM。

 グラスゴー終了。

 中間点。

 東側のループを4周。毎回少しずつタイム短縮。



 二度目のSgurrで完走。初完走祝いのバナーが出てこない。

 このあとしばらくGOTOさんと並走。グラスゴーはクールダウンに向いてないので真っすぐ進み、泣き別れに。

 60分走り、クールダウン50秒、27kmまで流して終了。

 リザルト。



 ストリークと距離分だけで初完走ポイントは計上されていない。検索してみたら去年の6月3日に走っていた

 今日のBGMはMiles DavisのSocerer。Socererは魔術師のことらしい。突如女性ボーカル入りの曲が聞こえてきて「Spotifyが別のアルバムを再生し始めたか」と思ったが、このアルバムの曲だった。
open.spotify.com

Sorcerer

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