神社巡り稙田

 昨日ほど暖かくはないものの、それでも予想最高気温は10度あって太陽も出ている。明日から寒波襲来予報ということで昼過ぎからライドに出かける。

大迫金刀比羅社

 まずは近場から。
 カメラを取り出そうとして、SDカードを入れ忘れたことに気がついたのでスマートフォンで撮影。拝殿はフラッターエコーが効く。



 鳥居をくぐってすぐの右手におそらく地蔵さま。

 その向かいの塔は六地蔵塔?

 明治100年で拝殿を作ったと。皇紀1200年記念同様、明治100年記念での改修はあちこちある。

 本殿左手に祠群。

 倉庫。

 拝殿あたりから鳥居方面を振り返る。

 上り口。

 遠景。撮影した道は大分工業高校へのショートカット階段にもつながっている。

 このあといったん帰宅してSDカードを詰める。

子子(しし)神社

 R10wo南に走って、Edgeの表示を見て通り過ぎたのを知り戻ったらそれらしきものがあったので近づいてみる。位置からしてここで間違いなさそうだが、鳥居がないし、表示もない。



 手水鉢。さすがにこれなら神社でしょ。

 灯籠か、それとも仏塔か。

 見下ろす下にはR10。

 R10側から。

 上野の八坂神社が島津来襲時にここに退避していたということで、祠が残っているらしい。ということは祭神は素戔嗚命(神仏分離令以前は牛頭天王)かな。
 獅子の巡行が伝わっているらしい。
大分の伝統文化・お獅子さま

敷戸秋葉様

 R10をさらに戻って敷戸神社への道を登っていくと途中に案内標を発見。ここはノーチェックだった。


 20mほどで秋葉様。

 縁起。以前はR10の方にあったらしい。子子神社のあたりやろな。ここから子子神社へつ続いていそうな道がある。

 左右は仏さま系と思われる。左は法華経万書塔と書いてある。

 手前は墓地。並び方からして一緒に移転してきたと思われる。

 子子神社の確信が100%ではなかったのでおしのハイツの中を地図の場所に近づいてみたが、それらしきものなし。ここでスマートフォンで検索して確信を得たけど、最初に検索しておけばよかった。

敷戸神社

 古くからの敷戸の集落へ上がっていく道もところどころ急だったが、清泰寺の脇から敷戸神社に上がる道は激坂だった。
 手前の臨済宗妙心寺派清泰寺。

 最初に古い階段が見える。今の参道はまっすぐ南から。



 二の鳥居の扁額は「大明神」。

 縁起。宇佐神宮の神官大神氏の流れを汲むとも言われる大神氏だけに応神天皇が主祭神。

 向かって左側に天満宮。

 さらに左に宮地嶽神社。平成4年に軒田から合祀されたとか。つい最近やん。宮地嶽3柱と大将軍大神で4柱ではなく6社?

 その奥に縁起にもあった摂社。順に蚕神社、大将軍、生目様、権現様、歳神様、弁天様、天神様。秋葉様がいらっしゃらない。もしかして一つ前の敷戸秋葉様?







 一の鳥居の左手に庚申等群。左は土地寄進の記念碑。
 ウーンとは?


 奥に清泰寺の墓地がある。縁起にもあったように、神仏分離前までは一体だったんやろうな。今しっかり管理されているのも清泰寺のおかげなのかも。

歳神社(ふじが丘西)

 次は早吸日売神社に行くつもりだったが、勘違いで山の反対側に降りてしまったのでパスして、ふじが丘に登って、西北端の歳神社へ。団地の端からアプローチしたら神社のある丘の中腹からになった。

 下に一の鳥居が見える。

 階段を登って拝殿へ。拝殿には大歳大神、菅原道真公と、ちょっと離れて饒速日命。扁額は歳神社、天満社。ここも大分に多い天満社の一つか。




 縁起。祭神に多速日命はでてこない。田尻氏(大神氏系)が関わっているが八幡神ではなく、朝久野氏が関わっているが春日神でもないとな。団地造成で移転したんだろうなと思っていたが、そうではないもよう。

 本殿の向かって左後方の祠・石塔群。正面の石には「堅牢地神」と刻んである。

地天(じてん、skt:Pṛthvī、音写:鉢羅体吠など)は、仏教、特に密教における天部の一人で、十二天の一つ。大地をつかさどる女神であって[1]、これが仏教に取り入れられたものである。堅牢地神(けんろうじしん、けんろうじじん)と呼ばれる場合もある

 神仏習合が残っているのってええなあ。



 この左隣。

 南側に団地から直接登る階段があった。手前は参拝者専用駐車場。中段はフラットだけど、隣にあがの児童公園があるためか、遊具はない。

 戻って下って、一の鳥居周辺。


日枝神社(岡川蕨野)

 田尻小学校の脇から霊山寺への道を登り始める。一丁ごとにお地蔵さんと表示がある(写真は復路に撮影)。新しいお地蔵さんと古そうなお地蔵さんが混在。



 岡川の集落の前後が厳しい勾配。十丁のすぐ先が日枝神社。しかし高校生の時この坂をランで登らされていたのやばいやろ。1年生の時は登りで張り切りすぎて筋肉死んだもんな。下りも故障のリスクが高いわ。





 拝殿には壁画。

 途中に石塔。最初のやつ、田申塔と刻んである。最初田を四と思って「見ざる、言わざる、聞かざるの3申だけやん」と思った。入口の灯籠には安政5年の刻み。


 向かって右の祠と貯水槽。

 元手水鉢。

 本殿右手奥の祠群。

 道を挟んで向かいには墓地や仏塔。

 大分市内を望む。

天祖神社

 一旦下まで下って、田尻グリーンハイツに登って、南西の端から登っていって、秋岡集落のはずれに天祖神社。あとで見たら日枝神社からショートカットがあった。





 拝殿には天井画、壁画、奉納画。


 ウシさんがいたので、天祖神社の天は天神さんの天かと。

 向かって右の祠群。

 向かって左の仏様系のお堂。

 寄進記念碑。

 東隣は臨済宗妙心寺派常楽寺。石垣がつながっているし、間にある家ともつながっている。西には常楽寺の霊園がある。実質一体化して動態保存されとるのかも。だとすると敷戸神社と相似。


 鳥居あたりから下界を望む。

仲村天満社

 登ってきた道を下って、途中から古そうな道に入ってみる。通っていた中学校の校区だけど、知らないトンネルがあった(当時なかったかも)。

 明治井路に遭遇。この時代にトンネル掘って水を通したというロマン。

 到着。入口右側の建物は仲村公民館兼仲村老人ホーム。本殿両側の彫刻が凝ってる。二の鳥居は享保5年の刻み。









 右手に祠。

 登っていったら田尻グリーンハイツへの登り道の途中に出た。銅製の鳥居。

 拝殿脇に手水鉢。順路的にどやねん。

 拝殿の左側が保管スペース。

 天井に神輿が収納されていた。

日枝神社(高瀬)

 なんらかの資料を元にマーキングしたはずだが、やはりなにもなかった。帰宅後マーキングのもとになるはずのサイトをチェックしたが、どのサイトにもなかった。

天満社(光吉)

 光吉の集落を抜けて帰宅。前日に訪問した光吉の天満社のそばの吉祥寺が臨済宗妙心寺派というのを知る。今日の敷戸神社、天祖神社とともに神社のそばの臨済宗妙心寺派。霊山の麓のこのエリアでこうなっているのは偶然ではないと思う。

まとめ

 おひさまは照っていたものの、木がなびくほどの北風が終始吹いていた。ただ、だいぶ日が長くなってきたのはありがたい。

kazz.red