神社巡り上野古国府とハンドル発注

 予想最高気温13度と暖かいので神社巡り。早めに食事して12時過ぎにスタート。大分川河川敷を下り、定点候補の滝尾橋。

 舞鶴橋から地上に出て、昭和通りを西へ。

西新町天満社

 桝屋の西向かいにある。大分市内でいちばん町中にあると言えるんちゃうかな。



 玉垣には知事、市長の後援会や地元のそうそうたる企業の名が。後援会名義なのは公職選挙法からみやろうけど、後援会名目でも寄付には変わりがないわけで、今なら燃えるやろうな。

 ウシさんの銘板は平松知事(当時)と佐藤知事(現)。

 チキリン太鼓というのが伝わるらしい。アップの写真を撮り忘れたけど、郵便受けには「チキリン太鼓保存会事務所」と。



 左奥に建物。右側は神輿殿。

 大木。

 右奥に稲荷社。大通りである中央通りに面して鳥居がたっているので両A面的な。



 新川の弁天神社でも賽銭泥棒が出てたようだし、このエリアを狙った常習犯がいるんやろうな。
 とはいえ、これは不用心。しかし気になるのは、ラップを剥がして半分食べたのはヒト、それとも他の動物?

 元手水鉢?

若宮八幡社

 母の葬儀でここの宮司さんに祝詞を上げてもらって、五十日祭もここの参集殿でやってもらった。ワシが死んたときもお世話になるかもという神社。


 手水鉢。

 社務所(右)と参集殿。

 縁起と市による案内。祭神は帯中津比古命(仲哀天皇)、品陀和気命(応神天皇)、息長帯比賣命(神功皇后)、大雀命(仁徳天皇)、善神王。
 宇佐神宮から直ではなく、宇佐神宮→石清水八幡宮→鶴岡八幡宮→若宮八幡社と勧請がつながっていると。庄の原佐野線(現大分佐伯線)の拡幅に伴って、現在地の東隣から平成15年に遷座したと。(映り込み失礼)


 楢神社。天理市の楢神社から勧請されたらしい。金刀比羅社、稲荷社と相殿。

 ここまで撮ったところでデジタルカメラの電池切れ。以下スマートフォンで撮影。

 本殿向かって右。左は南新地から遷座した府内天神、右は元小物座町から遷座した蛭子社。府内六蛭子(上掲の若宮八幡社の縁起によると七蛭子)の一つ。

 左から多賀神社、錦町から遷座した錦天満宮、大友家初代大友能直を祀った大友神社。

 多賀神社の後ろに古い祠や碑。

 移転して玉垣も新調した2003年に大手町(県庁そば)に壽錦酒造という会社があったん?

 神楽殿?

天神社(上野丘)

 若宮八幡社からまっすぐ南に登っていって、西に曲がった先にある。参道の両脇は民家。

 大友氏の上原館跡として国指定の史跡となっているらしい。

 登った先に祠が見えた。


 石碑は館跡と書いてあり、宗教的なものではない。

 台地は後方にも広がっている。

 本殿兼拝殿の右側に手水鉢。

 さらに右側に生目権現さんの祠。

 東端の石碑2本はいずれも文字が読めない。

松坂神社

 大分上野丘高校の野球グラウンドの南側に隣接。

 手水鉢。

 狛犬の首に注連縄。

 縁起。柞原八幡宮の浜の市のご神幸をお迎えするとか。祭神は足仲彦命(仲哀天皇)、息長帯姫命(神功皇后)、品陀和気命(応神天皇)、武内宿彌と八幡系。

 左が生目社、右が松坂天満社。生目さんは生石に生目神社がるし、この前に参拝した上野丘の天満社にも生目権現の祠があった。宮崎の生目八幡宮が本社と。

 社務所兼住居だろうけど、住居としては使われてないっぽい。

 なにかの建物跡の礎石。

 南大分方面を望める。

歳神社(上野丘)

 松坂神社からまっすぐ北へ降りていって大通りと合流した角にある。松坂神社の縁起に末社として記載してあるのはここだろう。右側は公民館。

 縁起。松坂神社については記載なし。

 本殿、というか本祠。


八坂神社

 来た道を戻っていくと案内板あり。

 到着、と思ったが表参道ではなかった。朱の建物は神門だった。

 脇参道。

 一の鳥居。扁額には「祇園宮」。

 トイレ、おうまさん、県社昇格記念の碑、手水鉢と忠魂碑。



 神門は想定を上回る荘厳さ。




 拝殿、本殿、神楽殿。


 縁起。祭神は須佐之男命、稲田姫命、大国主命。祇園社なので元々は牛頭天王だったんやろうけど。

 拝殿の向かって右手。左が貴船社、右が大坂社。

 拝殿の向かって左手の山中に八雷神社、稲荷社、祠群、猿田彦大明神の碑。今見返したら厳島社がチェック漏れ。縁起に書いてある順番からすると向かって右側にあったんやろうか?



 神門の西側にも建物。

 連絡先は若宮八幡社。

杵築社

 Edgeの地図を見て高低差的にどういうのがいいか迷ったけど、墓地公園の北側を大回りしてみた。Edgeに表示されない道があって、神社に続いていそうと思って下っていったら正解。

 縁起。名前から想像していたとおり出雲大社系だった。大字永興りょうごと書いてあるけど、現在の行政上の地名は南太平寺。南太平寺はバス停もあるし、「うで立て一代男」の登場人物の名前にも採用されている。

 拝殿、本殿。右にあるのが縁起に書いてあった石仏?

 手水鉢

 改築記念碑。

 その奥の六角柱。天照皇太神、少彦名命、蒼稲魂命、埴安姫命、大己貴命の名前が書いてある(一面はクレジット)。長濱社にも似たようなものがあった。

 その奥の祠は仏様系っぽい。

 境内から下を見下ろす。広場のように見えるところの先には伽藍石仏と地蔵堂。



高良社

 平地まで降りてきて、山沿いに北東に向かう。
 途中の岩屋石仏の前の看板で円寿寺境内図に愛宕社がある(もしくはあった)のを知る。がとりあえずはスルー。

 高良社到着。国道10号線からも見える。


 縁起。祭神は高良玉垂命。ここでは武内宿彌としているが、勧請元の高良大社のページでは明示していない(が。示唆はしている)。wikipediaによると記紀には登場せず、諸説あるとか。

 手水鉢。

 鳥居手前の石塔、首折れ地蔵さま。

大国社(古国府)

 以前賃貸住宅を探していた時のターゲットエリアの近く。弥栄神社での掲示によると、ここも若宮八幡社の宮司さんが面倒を見ている。
 鎮守の森的な遠景。

 近寄ってみるとひろびろとした敷地。


 縁起。名前の通り出雲大社系。杵築社とも距離が近いしなあ。

 向かって右側。印綸之荘堂?


 その左の手の木の根元。

 その奥。再び猿田彦大神。

 遷座800年記念碑。

天満社(羽屋)

 南に下って羽屋の町中のすこし高台にある。


 鳥居脇の古い手水鉢には梅文様。

 松坂神社同様、狛犬に注連縄。

 拝殿内に神輿。

 裏側の登り口

 おみくじ結び。正月にはおみくじを発行していたと。

 隣の民家から直結の階段がある!と驚いたけど、公民館だった。他にも子供会の倉庫、放送塔などパブリックな施設としても使われている。



 改修記念碑。

 左狛犬の隣にまたしても猿田彦大明神。

まとめ

kazz.red

ハンドル発注

 先日の落車以降、親指の掛けにくい形状のハンドルはあかんなという思いが強くなった。

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