最高気温17度予報と暖かくなりそうなので、早めに昼食を摂ってから稙田、賀来エリアの神社訪問。
おさん狐
GoogleMapsで鳥居マークがあったので行ってみた。アテオ光吉店の手前を北に入り、激坂を途中まで登っていった先、小原公民館の裏手。鳥居はない。




由緒。石碑もだいだい同じことが書いてある。神社境内に公民館を作るのはどこでもあるが、公民館敷地内に神社を移してきたという珍しめの事例。



田原神社
中高の同級生が何人か住んでいた田原の国家公務員合同宿舎の東側にある。
到着したらこの風景。元境内に公民館と消防団の倉庫があるというよくあるパターン。左手の石は文字が見えなかった。

鳥居の右手の土地、畑になっているようだけど、この建物やその脇の石からしてかつては神社の一部だったんじゃなかろうか。

由緒。稙田地区でなんどかみた皇紀2600年稙田村少年団のフォーマット。熊野神社系で主祭神は速玉男命。中津留の天神社といわれても大分市周辺にはあちこちにある地名(ツルは水の流れが速いという意味)なのでどこなのかわからない。たぶんこの近くなんだろうけど、今の地名には残っていない。

林神社
続いて隣の横瀬集落の林神社へ。河岸段丘(多分)の上、急な階段。

二の鳥居。扁額は天満社。大回りしてここに出るルートがあり、脇には緩めの階段も。



拝殿。迎春準備が途中なのがわかる。天井にはあせてはいるものの天井画。奉納絵もある。




本殿裏の祠・碑群。いろんな神様、仏様、縁起物が並ぶ。一番左は大分で多い猿田彦大明神。



由緒。明治時代に西寒多神社の附属社(いわゆる境外末社?)になったと。それで管理が行き届いているわけか。最初に勧請したのがどの神様で、どこからなのか書いていない。西寒多神社の祭神ではない熊野座神社が最初に書いてあるってことはそこなのか。熊野座神社は熊本県に多いが、そこから勧請したのか、そこに傚って熊野から勧請したのか。

メカトラブル
大分川をわたって賀来エリアへ。次の神社に着くちょっと手前、路面が悪くなったところで自転車の前の部分からカタカタとガタつく音が聞こえてきた。サイクルコンピュータ、ライトとも緩んではいない。他にガタつきそうなものはと考えて、もしやと思ってブレーキキャリパーを触ってみたがここだった。しかもアダプタとキャリパーの間もガタがある。外してみたら裏側が2本とも緩んでいた。「今日はパッドとローターがこすれる音が全くせんなあ」と思っていたが、そういうことか。

ネジを溝に落としてしまわないよう注意しながら作業。位置決めはなんどかやり直したが、無事落着。
八坂神社
そのまま進んで、久大線の線路を渡った先で引き返し、渡らない細い道へ。太い道に合流したところに八坂神社。すでに市境を越えて由布市狭間町下市。階段は急勾配。ここも推定河岸段丘。


メンテナンスが行われていることを伺わせる。この日も迎春準備をしている方がいらっしゃった。

五所大明神
激坂を登って行って集落の中を下り基調で進むと到着。参道が整備され、途中には消防団の倉庫も。


縁起。祭神は中尾の十二社から移奉された保食命、日本武尊命、天津児屋根命、中筒男命、別雷命の5社+菅原神、織部正吉明公御霊。かつては菅原神、吉明公廟が別にあったが、本殿に合祀になったらしい。
織部正吉は府内藩主日根野吉明。「おりべしょうよしあき」とふりがながあるが「おりべのつかさ よしあきら」が正しいようだ。

七所社大明神
河岸段丘の激坂を下って行って、平地になった先の初瀬井路のたまりのところに七所社大明神。ここは中尾なので、五所大明神の元になった十二社がここだろう。計算も合うし。




改修記念碑に七所が記されている。大日本武命、天児屋命、高雷龍命、建御名方命、大己貴命、別雷命、表筒男命と。ヤマトタケル、アメノコヤネ、ワケイカヅチの3神が五所社大明神とかぶるんだけど、元々被っていたので移奉されかのかも。

ここで裏面に気になる記述が。六所社に水神さんがあるとな。でもそんなんなかったよなと思いつつも次へ移動。

来るときに見えた階段は六所社へのショートカットのようだ。ここまできて、やっぱり気になるので戻る。

六所社大明神の鳥居をくぐって、右に曲がるコーナーの外側に祠発見。比較的新しいのでこれが碑にあった水神社だろう。おそらくは初瀬井路ができてから祀られた神社。

六所社の階段を再度登って、右側に続いている道を進んでみたが、その先には鉄塔があった。











































































































