暖かかったので10時ころスタート。メッシュ長袖アンダーを着て走り始めるが、例によって、走り出してすぐ気温が上がり、暑くなる。
- 首藤家祖霊社
- 御霊社(片島)
- 秋月家屋敷神様
- 千歳天満社
- 生目社(千歳)
- 宮王社
- 諏訪社(千歳)
- 千歳若宮八幡宮
- 八坂神社(小池原)
- ランチ
- 乙津天満社
- 皆春天満宮
- 姫之宮春日社
- 龍王社(三佐新町)
- 愛宕社(三佐仲町)
- 天満会館(三佐畑仲)
- 海原天満神社
- 野坂神社
- 住友化学の敷地内の神社
- 小中島天満神社
- 鶴崎大神宮
- 劔八幡宮
- 国宗天満神社
- 帰路へ
- まとめ
- 発注2点
御霊社(片島)
現地付近、歴史マップに出てくる足立さんと同じ読み(漢字違い)のお宅に祠の屋根らしきものがあり、これかもと絶望寸前。確認のため歴史マップをスマートフォンにダウンロードして(家でやっとけよ)地図を確認。わかった、この道、つながってないんや(赤の部分)。

秋月家屋敷神様
こちらも再履修。前回行った水路沿いの道より1本南側のようにも見える。


来てみるがみつからない。屋根を目印に周囲を再度見渡してみると、大きなお屋敷の敷地内に発見。これは入れない。

反対側の、水路のある側に来てみた。先日目星をつけた秋月さんの2軒東。地元の名士なんやな。とか思っていたら、敷地内で日向ぼっこしていた人生の大先輩のご婦人方から声を掛けられる。目的をお話して、お参りさせてもらう。ラッキー。その中のお一人がここの秋月さんだとか。


千歳天満社
ここからが本日のメインターゲットエリア。
マックスバリュの前を通り護国神社の下で左折、すぐに右折してR197に入り、鶴崎の手前で右折。きつく短い坂を登って到着。






縁起。ありがちだけど、移ってくる前の場所が現在のどのあたりかがわからない。天神面という地名は南大分に最近まであったけど、ここからは遠すぎる。

生目社(千歳)
歴史マップに掲載されていた。天満社の前から斜めに伸びる道の先。



下がっていく道は登り口に通じているので、おそらくは旧道。北から天満社にお参りする時の露払い的な境外摂社(もしかしたら境内)だったんだろうなと。
八坂神社(小池原)
さらに南に行って、右折して登っていくと明治北小学校の隣に八坂神社。







拝殿の天井画・書、奉納画。絵は隣の小学生が描いたものようで。

向かって左の天神社。平成31年(2019年)の230年前とということは1789年あたりか。火縄くすぶるバスティーユ。



乙津天満社
縁起。1660年起源と。秋葉社と金刀比羅社でカグツチの漢字が違う。複数柱の神様を祀るのを弊社と呼ぶというのは初めて知った。

本殿の左。向かって右が金比羅社+秋葉社、左が戎社。こんぴらさんの字が縁起と違う。


朝デジタルカメラの電池がフルマークになっているのを確認したのに、この時点で残り1マスの表示になってた。
皆春天満宮
縁起。1790年ということは、小池原の八坂神社の境内にある天満宮とほぼ同じ。このころ何かあったんかな。誉田別命、倉稲魂命、素戔嗚男命とあるので、八幡社、稲荷社、祇園社が合祀されたと。吉備子親王は草壁皇子の子で長屋王妃の吉備内親王のことだとしたら御霊社。

改修記念碑(上は以前のもの)によると起源は1812年。22年違うけど、まあこのあたりに天満社が多い理由がありそう。


西隣に峰教寺という寺があって、これは臨済宗妙心寺派と天満社の繋がりのケース?と思ったが、中山身語正宗という新興系のお寺だった。ただ以前は別の系列だった可能性もあるなと。
姫之宮春日社
鶴崎駅方面に戻り、住友化学の南側の春日社へ。拝殿が下鶴崎一区公民館 を兼ねているが、奥に本殿がある。手前の空き地は元境内かもしれない。




天満会館(三佐畑仲)
どう考えても神社関係だろうと思われる「天満会館」を地図で見つけたので立ち寄り。仮説は天満宮の跡地にできた公民館。愛宕社の南西方面。

海原地区天満社春季祭典の案内が。天満社とはこのあと訪問予定の海原天満社のことと思われる。この掲示板は「海原自治会掲示板」と名乗っているし、実質公民館ではなかろうか。

海原天満神社
ここは今の地名表示でも海原。天満会館を見て、「ここにあった天満社が区画整理で40m道路の先に移転したんかもな」と思っていたが、これはそんな最近に移転したような様子ではなかった。扁額は天満神社。






昭和31年(1956年)に原川改修工事で隣接地へと移転したと。神社の西を流れるのは乙津川で、原川はさらにその西の川なんだが、大掛かりな付け替えが行われたんかな。

現地で検索したらここの祭はかなり大規模らしい。だとしたらさっきの天満会館は御旅所かと思ったが、龍王社が御旅所になるらしい。でも元御旅所の可能性もあるな。
これを書いていて発見したけど、大分市の歴史マップ、鶴崎は他地区とは別ページになっとる。鶴崎市が合併して何年やねん、と思ったけど、未だにゴミ収集は別の仕組みなんよね。
野坂神社
拝殿の中にあるのが岡藩船三佐入港船絵馬か。文化13年(1816年)。


向かって左側の摂社群。手前から戎社、舩玉社、厳島姫社、稲荷社。




たぶん宮司さん(もしくはそのご子孫)のお宅。
一の鳥居まで来てみた。ん、扁額は八坂山大権現。そういえば元宮司さんも八坂さんだったし、野坂はヤサカと読むのか。だとしたらこのあたりの神社のお祭で山車が出るのはこの八坂さんが起源なんかな。


住友化学の敷地内の神社
ちょっと無駄な動きをしてしまい、姫之宮春日社の前を通り過ぎた先に、鎮守の森っぽいものを発見。近づいてみたらそこは住友化学大分工場の敷地内。たまたまかと思っていたら、祠の屋根らしきものが見えた。しかしこれ以上は近づけず。

鶴崎大神宮
駅方面に進んで鶴崎大神宮。昨年2月の帰省時にこのあたりをライドした時にその存在は確認していた。
ブロックの一部は大分バスの操車場になっている。御神木はタブノキ。




灯籠。4面に関大神宮、金比羅大権現、劔八幡宮、瑜伽大権現と刻まれている。縁起で言及がないのになあと思っていたら、文化15年(1818年)の刻。縁起の文言からなんかあやしいなと思っていたが、やはり元々あったものが全面上書きされてたのか。証拠を撤去していないだけましだけど。



野坂神社の絵馬が文化13年。当時このあたりが栄えたんだろうなと伺わせる。
劔八幡宮
日豊本線の線路をくぐり、R197を越えた先に劔八幡宮。鶴崎大神宮の灯籠にも名前があった。



熊本帆船鶴崎入港船絵馬がある。寛政10年(1798年)。野坂神社のものは岡藩で、18年後の1816年。お互い競ってたんやろうな。


向かって左手に稲荷神社。左部分に白馬さん。平成3年(1992年)改築。




なんの記念碑かが削られた記念碑と遥拝所の碑。碑には左から「後歴代天皇命 伊勢水内皇太神 天神地祇大神」と刻んである。



昭和37年の御遷座記念碑。元々劔八幡と出水神社は細川藩邸にあったが、出水神社は現鶴崎大神宮の地に遷座しに泣き別れになっていたのが、ここに戻ってきたと。で、その間に亀岡社、住吉社も合祀されたと。亀岡とは鶴崎大神宮の場所の旧名(亀丘とも)なので、そこに元々あったのが亀岡社なんだろう。結果的に追い出されたことになる。


劔八幡宮に戻る途中で一の鳥居発見。二の鳥居の正面に賛同が伸びでいるわけではない。区画整理でずらせた可能性もあるな。
乙津天満宮で電池マークが最小になっていたデジタルカメラはここの途中までもった。
帰路へ
R197を西に走り、滝尾橋から土手道へ。工事を回避してから再度土手へ。広瀬橋は下のグラベルロードをくぐり、階段で土手上へ。上がってみたらそのすぐ先にスロープがあった。
まとめ
発注2点
DSC-TX30の電池2個&充電器のセットを発注。

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ドロップハンドルにつけるべく熱収縮グリップを発注。青。実測して Φ35mmを選択。




















































































































































