神社巡り 吉野 その3

 今日は早い時間から暖かくなったので、10時45分頃スタート。
 大南大橋東交差点を左折して県道662号線に入る。このへんの道の常として、最初に河岸段丘をガツンと登る。なおここを登るのは3回め。
 台地になってからは緩やかになる。トンネルを抜けて吉野へ。

杉原の神社

 下って、堂山の石塔群の近くにあるという神社へ。まずは堂山の石塔群を目指す。GoogleMapsによると石塔群の北西方向。

 ところどころ案内標識があり、迷うことなく到着。


 階段のある石祠は愛染宮。宮がついているからといって、さすがにこちらを神社にカウントするのは無理があるのでノーカウント。

 そのあたりを調査するが、道はついていなかった。

 少し戻って、想定する方向に向いている道を徒歩で進んでみる。

 鞍部から東西に尾根右が延びている。

 まず東。山頂まで行くが、それらしきものはない。かなりメガなメガソーラが見える。

 続いて西側。道もすぐに消えるのでこちらにもないかなと諦めかけて、周りをよく見渡すと屋根が見えた。

 道はできていないが、たどり着くのは難しくない。いかにもな石。

 到着。繁体の西側に参道が取りつていた。

 石像には寛保2年の銘。1742年。土壁。

 手水鉢。手ブレ。

 古い祠。

 古い扁額。神社名がわかるかと思ったが、かろうじて宮の文字が見える程度。

 石像が平安貴族風なので、道真公かなと思ったけど、江戸時代の作なので今の常識で考えたら間違うかもしれない。

 戻って、参道を探る。ちょっと下っていったところに道がある。「スズメバチの巣があって危険」と看板がある。かなり前のもののようだし、神社自体に手が入っていたのでもうなくなっている可能性もあるなと思い、慎重に侵入してみる。

 ハチの姿はない。看板に書いてあった7mくらいのところのこれが駆除跡じゃなかろうか。

 左手に墓地。

 その先に祠が見えた。正解。

 帰りも気をつけながら下って生還。

昼食

 セブンイレブンで唐揚げと豆腐バーを購入してランチ。写真を撮り忘れるという痛恨。

龍王山の祠

 前回のあと、いろいろとネタを探していて、龍王山の上に祠があると知ったのでルートを引いて進んでみた。
 溜池があって、そこから路面も勾配も自転車向きでなさそうだったので徒歩で進むが、すぐに行き止まりになった。

 スマートフォンを取り出して見てみるが、目的地をプロットしてなかった。痛恨。今日のところは諦めることにする。

八坂神社(祇園宮)(下津留立小野)

 旧道も使いながら戻って、吉野中学の隣の八坂神社へ。鳥居の扁額は祇園宮。


 拝殿の扁額は八坂神社。


 本殿の装飾が凝っている。高尾神社に似ているのは施工業者さんが同一の可能性も。

 左手奥の石塔群はほぼ庚申搭。





 右手奥の祠群。左4つは物理的に空だが、右端は砲弾。判田の轟神社には臼砲弾が奉納されてたなあ。

 右手のこの部分、以前なにかの建物があったのかも。

 右手に階段があり、その先に祠。この石はご神体なんだろうか。


 その階段を上がった右手(鳥居から見ても右手)にも神社の土地らしきエリア。

 改修記念碑兼由緒記。疫病退治には祇園さんと。第一段落の内容は取ってつけた感がある。拝殿は2001年、本殿は2002年の改修。

 手水舎と古い手水鉢。


荒平山の祠

 八坂神社から北へ。登って降りたので、もう1本西の県道637号線のほうが勾配が緩かったかも。下って左に曲がり、荒平山の祠へ。かなりの急勾配で時折休みながら、10mほどは押して進む。
 左から登ってくる道が合流し、その先で分岐。左は一旦下って大回りで、右は急な坂を登っていくショートカット。自転車を置いて右に進むことにする。

 その分岐からの急坂はゆるくなり、鞍部の四辻に。左の尾根道を進む。

 かなり険しい簡易舗装の道を登っていって、山頂の広場到着。もう少し木を剪定したらいいのに。

 そのまま真っすぐ進むが、スマートフォンの位置表示とは逆の方向に進んでいる。さっきの鞍部の辻まで急な坂をおそるおそる下って戻って、ゆり道を進む。やがて行き止まり。

 スマートフォンを見るとどうもこのあたりらしい。その方向は崖で、不法投棄のゴミだらけ。祠はなくなったのか?失意のうちに引き返し。

 自転車の場所まで戻って、その下の分岐は右に進んで県道637号線へ。途中で東に曲がって角石へ。集落を抜けた先に八幡社があるはず。

八幡社(志津留角石)

 プロットしたところに近づいても何もない。もしかしてこのスペースは。

 残念ながら正解だったようで。

 横穴的な祠やったんやろうか。


天神様(志津留中間)

 県道に戻ってすぐ西に別れて日吉神社を目指す。その途中、丘の上の集落に入ったところで注連縄発見。

 広場になっていて、すみの祠には平安貴族のようなお姿。ウメの紋が彫られているし、隣にウメも植えられているし、ここは天神様ということでほぼ決定。



 明治26年は神社統合期。

 手前は仏様系。

 広場の一角には防火水槽跡と小屋。元々は左右が繋がった境内地で、切り通して道路を作る時に分割されたのではないかと想像。



日吉神社(志津留中間)

 天神さんから下っていくとすぐ日吉神社。


 拝殿は右に傾いていて、つっかえ棒(鉄製)で支えられている。

 拝殿に奉納画。テーマは百人一首?

 本殿は二重構造。

 右手の祠群と壊れた祠。

 日吉山王大権現の碑。

 日露戦役の戦利品を凱旋記念で奉納。

 手水鉢。どちらも水道が繋がっている。

 裏参道。

石鎚尺間神社

 道を間違って、いったん戻って坂を登ったところに入り口。石鎚神社と尺間神社の組み合わせは城南神社と同じ。

 「参道」は右から、「奉納」は左から書いてある。諏訪神社を思うかべる諏訪さん。

 このへんではゆるめ(当地基準)の勾配の道を登っていって到着。急な階段。

 見えてきた。

 右手から車道が繋がってきていた。

 拝殿。

 手水舎。

 由緒碑。「大分より」って城南神社なんかなと思ったが、城南神社に石鎚山遥拝所ができたのはこれよりあとの昭和34年。

 入り口の向かいに商店跡があって、まわりに民家も少ないので「もしかして門前市的なやつ?」と想像したが、検証するすべはない。

天神社(下津留越木原)

 次の目的地長小野神社に向かう途中で神社らしき建物発見。


 これは明らかに神社。

 施錠されてなかった。


 これは井戸?

 般若心経と念珠。

 令和と書いてあるダンボール紙を裏返してみたら天神様となっていた。確定。

 敷地内に火の見櫓と半鐘。

 隣はゲートボール場。

 ちょっと離れたところから。

 最初登ったところに戻る。おそらくこの切り通しの道を作る時にこんな階段になったんだろう。

長小野神社

 さらに少し北に行った集落のはずれに長小野神社の北西側の参道。鳥居は明治30年の銘。神社統合(以下略)


 神楽殿、控殿。

 表参道と鳥居。

 南西側鳥居。

 そのそばに石祠群。但馬神社。

 笏を手にしているということは道真公?

 天明5年の銘。

 こちらも笏持ち。

 こちらも。明治35年の銘。神社統合(以下略)。

 手水鉢。

 改修記念碑群。

八大龍王(杉原)

 県道に出て、梅が丘への取り付け道路のすぐ西側の道を進む。すぐに獣よけゲート。一瞬開け方がわからなかったが、解けない愛のパズルを解いて侵入。もちろんいったんちゃんと閉める。

 もう一つ解けない愛のパズルを解く。ツタ性の植物が絡まっていて、長い間空いていないことがわかった。

 ゲートを越えてすぐ激坂。あきらめてここからは徒歩。

 ちょっと進むと団地との接触点があった。StreetViewでは確信が持てなかったが、ここから登ればよかったなと。


 この先、かなり勾配がきつくなってくる。落ち葉の積もった簡易舗装路。右手の団地がだんだん下になってくる。荒平山といい勝負。やがてちょっとした広場に到着。「行き止まり?」と思ったが、奥から細い道が続いていた。

 すぐに祠に到着。

 正面に回る。2つの丸太は鳥居だったんだろう。八大竜王さんらしい。このあたり、山の上の龍王さんというところがけっこうある。

 由緒。比較的最近整備されたらしい。裏には桜植樹の記録。

 奥地区の人たちが植樹したらしい。GoogleMapsにも奥龍王様とプロットされているけど、現在の行政上の区画ではここは奥じゃなくて杉原なんよね。

帰宅&まとめ

 県道25号線、国道10号、国道旧道を通って17時10分ころ帰着。日が長くなった。


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