滝尾方面神社巡り

 11月10日の拾遺と、やや東方北方へエクステンド。

 スタートするとサドルに違和感。上向きに感じる。しばらくもぞもぞしていて気がついた。X-Tigerの裏起毛タイツのパッドが前すぎ。坐骨はパッドの恩恵に与れない。このため前上がりに感じだようだ。X-Tigerは今まで失敗がなかったが、これはだめ個体。
 おひさまは出ているが、時折風が強くなる。

妙見宮(富岡)

 森岡歴史マップで見かけてマーク。何度か通ったことがあるけど気が付かなかった。
 行ってみたらポケットパーク的な祠。表示もないし、祠にも読み取れる文字はない。大正末期に勧請されたらしい。


熊野神社跡

 妙見宮から少し東に入ったところ。明治44年に碇島に移転するまではここにあったらしい。大分かわら工業株式会社の佐藤恒彦さんという方が建てたらしい。

 この会社どうなったんやろと思って調べたらどうも営業してなさそう。ただ本社所在地はわかったので検索してみたらそこには熊野建設という会社が。沿革を見ると1973年(この碑を建てた翌年)に佐藤恒彦さんが設立した大分ブロック販売施工株式会社がスタートということで、会社は健在と言っていいと思う。名前といい、熊野神社の碇山荘の施工といい、今も信心が深そう。
kumanokensetsu.jp

天神社(津守常元)

 さらに進むと祠発見。小さな鳥居の扁額には「天神社」と書かれている。
 森岡歴史マップによるとメインは敷地内の墓で、大字津守字常元に多い堤一族の先祖墓らしい。天神さんは守護神。


猿田彦大神

 さらにワンブロック進むと猿田彦大神の碑。こちらも妙見宮同様大正時代。


妙見宮(米良)

 今日はルートを引いてなかった(ウェイポイントは入れてた)ので、何度も止まりながら、大分南バイパスを越えてたどり着いた。鳥居もなく、石の祠があるのみ。もしかしたらバイパス建設で少し移動しているかもしれない。



秋葉社(米良茅場山)

 米良集落にある小高い茅場山の山頂付近にある。登り口は少々迷った。

 墓地を抜けたらそれらしき予感が高まる。

 登ってフラットな場所へ。右手に階段がある。

 3つの祠がある。中央の祠には「謹請火産霊命安鎮座 軻遇槌命 罔象女命」と書いてある。火産霊命と軻遇槌命は同じ神。

米良天満神社

 秋葉社からゆるい坂を登って、高速道路の下をくぐり抜けた先に天満宮。今日初めての鳥居。

 狛犬の吽形補修済み。

 天井画。


 東側から。

 簡易トイレあり。スポーツ公園に登っていく道があるが、通行止めになっている。

大分スポーツ公園

 次の目的地に向けて、大分スポーツ公園を通過。
 レゾナックドームの取り付け道。

 レゾナックドームと高尾山自然公園の間の谷。高尾山自然公園もスポーツ公園の一部という扱いらしい。

 ここの坂を登ってきた親子。

水分(みくまり)神社

 坂を降りていくと水分神社。


 神楽殿?

 東側の参道の階段下に社務所。

 縁起。祭神は綿津見の神、八大竜王、竜神の神石。水系の神ですな。古事記日本書紀に出てくる神ではなく、アニミズム的な神のまま現在に至っているということか。

 向かって左側に境内摂社の祠3つ。山神社、金比羅神社、天満社。

 手水鉢の脇から八大龍王に登っていく。鳥居は日韓併合記念。


 公園内道路と交差し、さらに登る。勾配はゆるい。

 龍神の御池に到着。

 脇に高尾山八幡大菩薩。「高尾山周辺に散在せる多数の古武士之霊魂 取上鎮魂祭祀」と。文語のサ行変格活用の連体形は「する」やけどね。これも古い神仏混交系と思ったけど、古いものではなさそう。裏側も見ればよかった。

 戻ってきて、再度境内を巡っていると祠発見。蚕神社らしい。大分の養蚕ってさほど有名ではないけど、一時期は日本中で養蚕やっていたはずだし、あっても不思議ではない。ただここは水系の神社やけど。


 なにかの記念のたびに氏子さんたちが鳥居や灯籠を寄進しているようだ。





 境内のマキは大分市の名木指定。

稗田稲荷神社

 大分高校前を通って平地に下って、バイパスを少し南に行った山沿いにある。東西両方に参道がある。右は階段、左は道路でつながっている。

 上の写真の左側に小さく写っている西の鳥居。

 本殿。

 西側の鳥居。

 東側の鳥居とその途中のイチョウ。

 縁起。元々稗田にあった神社が伏見稲荷から分霊を得て稲荷神社となった。宅地開発で片島大分社への一時滞在を経てこの地に遷座したということだけど、その前にどこにあったが書かれていなくてよくわからない。今のグリーンウッド片島団地(グリーンウッドかたしま台)だったとは推測できるが。もっと山中で、斜面に鳥居が並んでいたとかやろか。

 ニッポさまもご寄進。

安部家の愛宕社

 下郡史跡マップを見てやってきた。民家の敷地内やん。

三重家の天神様

 同じく歴史マップに載っていて、同じく民家の敷地内。同じブロック内。表札は三重野さんだったが。歴史マップによると神ヶ迫の大分社跡から移設したものだとか。神ヶ迫は下郡霊園の下あたり。

北下郡天満神社

 住宅街の真ん中にある。このあたりは農協が音頭を取って農地の宅地転用を進めたと不動産屋さんがゆうてはったなあ。

 天満宮お約束のウシさん。でも大分のあまたある天満宮でウシさんを見たのは初めてかも。

 宝物殿。

 縁起。空襲で焼けて霜凝神社内を経て公民館敷地に遷座したものを平成4年に本格的神社化したと。以前にあった字天神前の場所は調べてもわからなかった。

 公民館と敷地続きで、天満神社斎館(兼老人会館)は公民館と棟続き。

 日新日露戦争戦役記念碑。

 日が傾き、寒さを感じるようになった中を帰宅。