昨日届いたキャリパーアライメントツールを使って調整。最初はうまく挟まらなかったが、ぐりぐりして少し広げてから再挑戦。あっというまに完了。
天気があやしいが、近場の神社巡り。
宮地嶽神社(津守)
山の反対側にありそうな宮地嶽神社に向かう。肥後街道の旧道から直登する道はなさそう。森岡小学校の校門近くのようなので登っていったら表示があった。しかし直接つながりそうな道がない。墓の間を縫っていったら下る道があった。
下っていくと分岐。下が本来の参道か。右に行くと新興住宅地。
参道は山の北側に伸びていて、西側の肥後街道には直結していなそうだった。
熊野神社(碇島)
滝尾駅近く、豊肥線からもよく目立つ鳥居のある山に行ってみた。
途中まで自転車で行く。社務所(表札は碇山荘)とお地蔵さんのいらっしゃる石の祠。
その並びに四国八十八ヶ所と鯖大使像。ともに明治35年。当時は神仏分離・廃仏毀釈の熱も冷めてたんやろか。
一伯公(松平忠直卿)霊廟。家康の孫ながら、豊後に配流され、このあたりで余生を過ごし、熊野神社への信仰も篤かった。
片島大分社
例によって本殿裏に石の祠。
宮地嶽神社、尺間神社、生目神社。
縁起。主祭神は豊門分命と大分君稚臣。境内摂社が実際の祠と一致していないんだが。
熊野信仰の篤かった松平忠直が大分社(次に訪問)の氏子の南半分を熊野神社の氏子に組み込んだというむごい話が書かれている。その後空白になった当地に鎮守社として建てられたのがこの片島大分社だと。
大分社
父が明野の高齢者施設に入っていた時によく通った道沿いにある、大げさな名前の神社に行ってみた。
縁起。主祭神は片島大分社の2柱以外に伊邪那岐命、伊邪那美命、豊門分命、大分君惠尺大神、大分君稚臣大神。片島大分社に書いてあった氏子強奪の件も書いてある。
後で調べたところ、大友家の時代に豊後一宮の扱いを受けたらしい。
霜凝神社
下郡石鎚神社
推定はあたっていたっぽい。ただ石鎚本教のウェブサイトには大分教会が載ってないんよね。
ishizuchisan.jp
帰宅へ
あと3つほど行く予定だったが、雨がポツポツと降ってきたので帰ることに。